星野仙一の死因は癌(がん)だった?白血病の病気で妻を亡くした闘将も天国へ

闘将、燃える男として野球界で多くの人に親しまれてきた星野仙一さんが1月4日に亡くなっていたことが分かりました。

関係者によると星野仙一さんは癌で一昨年から闘病していたとされ、辛い闘病生活を続けながらも、2017年も様々なイベントに出席されていました。

監督して低迷していたチームを日本一にさせるなど、その手腕は海外からも注目を集め、今回の突然の訃報に各所から悲しみの声が上がっています。

星野仙一さんは2020年に行われる東京オリンピックを非常に楽しみされていたようで自身においても残念な結果となってしまいました。

現役時代は、選手としてもエースとして活躍したほか、引退後は中日、阪神、楽天の監督を歴任し、計4度チームを優勝へと導いてきました。

昨年の年末には野球関連のイベントにも積極的に参加されており、年末年始は家族でハワイに滞在する予定でしたが、容体が急変し入院。

そのまま帰らぬ人となってしまいました。

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星野仙一さんの生い立ち


星野仙一は岡山県児島郡福田町(現・倉敷市)出身の出身。

選手のポジションは投手で、高校卒業後は名門明治大学政治経済学部経済学科に進学します。

1968年には、プロ野球ドラフト会議で、水原茂が監督就任したばかりの中日ドラゴンズから1位指名を受け入団を果たし、現役通算で8回の二ケタ勝利と1974年には初代最多セーブのタイトルと沢村賞を獲得するなど、2度目のセントラル・リーグ優勝に大きく貢献しました。

選手を引退してからは、1983年から1986年までNHKで野球解説者を務め、1985年にはNHK総合テレビ『サンデースポーツスペシャル』の初代司会者へ就任します。

1995年には、ファン待望の中日監督への復帰が発表され巨人との熱い戦いを繰り広げました。

1997年にはナゴヤドームも完成し周囲の期待も盛り上がりつつありますが、プライベートでは最愛の妻である扶沙子夫人を白血病で亡くしました。

それでもめげずに人知れず野球と向き合い続けてきた星野仙一さん。
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2001年には阪神の監督も務めあげ2003年には自身3度目のリーグ優勝を果たしました。

高血症持ちだった星野仙一さんは、シーズン中、試合で何度も倒れながらも気合と根性で選手に激を飛ばし続けました。

低迷するチームを日本一にまで引き上げた一番の要因は選手がこの気迫に後押しされチーム全体を奮い立たせたことにあると周囲は声を揃えます。

監督を引退してからは、そのリーダー性と知名度から各テレビコマーシャルに引っ張りだことなり、タレントとしても活動しました。

またフリーランスの野球解説者としても出演し野球界全体を盛り上げるために尽力しました。

2006年10月よりスタートした、日本テレビ系列のニュース番組『NEWS ZERO』のスペシャルコメンテーター時代には圧倒的な存在感を示していましたね。

2007年には北京オリンピックの日本代表監督へと就任し、「星野JAPAN」をみずから商標登録するほどの意気込みをみせるも結果は惨敗。

それもあってか、2009 ワールド・ベースボール・クラシックは就任を見送らざるを得ない結果となりました。

しかし、2010年監督キャリア最後のチームとなる東北楽天ゴールデンイーグルスの監督へと就任しました。

2013年には楽天初の自身初の日本一に輝き、名実ともに日本一の監督になりました。

2014年には楽天の監督を引退しシニアアドバイザーへと就任。

翌年には、株式会社楽天野球団取締役副会長に就任しました。

「人生の1%をボランティアに捧げ」を教訓に野球以外でも社会に貢献してきた星野仙一さん。

多くのファンから親しまれてきただけに悔やまれますね。ご冥福をお祈りいたします。

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